吹田総合車輛所日根野支所103系 【最終更新日】
2022年07月23日

 阪和線では1968(昭和43)年に103系が使用が開始され、。関西地区では103系の初投入線区となった。
 運用範囲は長らく阪和線天王寺〜和歌山と鳳〜東羽衣(羽衣支線)だったが、1994(平成6)年6月から1999(平成11)年5月まで紀勢本線和歌山〜周参見、和歌山線和歌山〜五条、2003(平成15)年10月から2006(平成18)年3月まで土休日のみ大阪環状線でも運用された。
 2011(平成23)年3月ダイヤ改正では、長らく103系で運転されていた紀勢本線海南発天王寺行の快速が225系化されたため、103系の運用範囲は天王寺〜和歌山と鳳〜東羽衣に戻っただけでなく、従来は天王寺〜和歌山で運転されていた普通列車が日中は天王寺〜鳳の運転になり、活躍の場がぐっと縮小されることになった。また、朝夕のラッシュ時には一部の快速や区間快速に充当されるものの全て単独編成での運転で、4輌編成を2本併結した8輌編成は消滅した。この関係で103系4輌編成は205系1000番代と共通運用になった(後に、再度運用を分離)。
 2011(平成23)年ダイヤ改正に前後して、日根野区の初期車置換のため、森ノ宮区から体質改善工事施工車がオレンジバーミリオン塗色のまま転入し、異色・混色編成が多数出現した。
 2016(平成28)年に225系5100番代が就役して103系の運用は下記のように段階的に縮小されてきた。2017(平成29)年7月にはとうとう3運用に減って、4編成配置されている205系だけで全運用を賄えるようになったため、103系が使用されるのは羽衣支線のみとなった。そして、2018(平成30)年3月のダイヤ改正で羽衣支線での運用も終了となった。

<2016年7月の運用修正>
  ■6輌編成…205系と共通運用でA21〜A30の10運用(それまでのA22・A23は225系化、A24〜A32はA22〜A30へ)
  ■4輌編成…205系と共通運用となりA41〜A47の7運用(それまでの205系A51〜A54運用は223系化)
 
<2016年10月の運用修正> 
  ■6輌編成…205系と共通運用でA21〜A28の8運用(それまでのA24・A25は225系化)
  ■4輌編成…205系と共通運用でA41〜A44の4運用(それまでのA42〜A44は223系化)

<2016年12月の運用修正>
  ■6輌編成…205系と共通運用でA21〜A26の6運用 (それまでのA23・A24は225系化)
  ■4輌編成…運用終了

<2017年3月の運用修正>
  ■6輌編成…205系と共通運用でA21〜A26の6運用。区間快速運用終了 (充当列車はダイヤ改正により変更)
  ■4輌編成…運用終了



▲紀勢本線和歌山以南および和歌山線で運用される103系にはATS−SWが追設され、未装備車と識別するため正面に白帯が巻かれた。その後、ATS−SWは全編成に整備されたため、白帯は定検入場時に順次消されていった。先頭のクモハ103−110は阪和線での運用終了後、岡山地区に転出して山陽本線や瀬戸大橋線等で使用された後、大阪府立消防学校で鉄道車両事故訓練施設として使用されている(一般には非公開)。

(撮影日:2002年03月18日)



▲先頭は2007(平成19)年に森ノ宮区から転入したクハ103−1。日根野区転入時に要検を受け、屋根仕上材や車内床の塗り直しが行われたほか、日根野区に在籍していた新製時の相方であるクハ103−2と再び編成を組むようになり、まるで動態保存かのような扱いであったが、2011年3月5日のA21運用(日根野〜天王寺〜日根野)を最後に運用を離脱してしまった。
クハ103−1は京都鉄道博物館で保存展示されているので、いまでも実車に触れることが可能である。

(撮影日:2007年05月27日)


▲泉州名物タマネギの貯蔵庫を横目に走る、オール体質改善N30工事施工車で統一されたK612編成(撮影当時)。2011(平成23)年3月ダイヤ改正後、日中の103系の運転範囲が天王寺〜鳳に縮小されたため、この区間で103系を順光で撮影することはできなくなった (ノдヽ*)・・・・・

(撮影日:2007年08月21日)



▲朝夕ラッシュ時間帯に見られた4輌編成を2本併結した快速運用は2011(平成23)年3月のダイヤ改正で消滅した。

(撮影日:2007年08月21日)



▲2010(平成22)年に森ノ宮区・奈良区・日根野区間で103系の持ち替えが行われ、阪和線に異色・混色編成が多数登場した。この編成は大和路線で混色で使用されていた編成がそのまま転入したもの。

(撮影日:2010年08月08日)


▲上の混色編成は2010(平成22)年11月に吹田工場に入場したものの、定期検査対象車以外は塗り替えなかったため、今度はスカイブルーと鶯色の混色編成になり、約1ヶ月運転された。

(撮影日:2010年12月28日)


▲2011(平成23)年3月ダイヤ改正前に奈良区からウグイス色のまま転入してきたNS409編成。転入当初は205系4輛編成の運用に入り、71Aと74Aに交互に入る変則的な使い方をされていた。

(撮影日:2011年03月06日)


▲これまたダイヤ改正前に突如出現した天王寺方先頭車がウグイス色の混色編成 (  Д ) ゚ ゚  所定クハ103−237・238の代わりにクハ103−97(ウグイス)・616(スカイブルー)が連結されたもので、1週間程度運用された。

(撮影日:2011年03月09日)


▲2011(平成23)年3月ダイヤ改正に合わせて、日根野区の103系初期車置換用に森ノ宮区から体質改善工事施行車3本が転入し、オレンジバーミリオンのまま営業運転に就いた(1編成はオレンジバーミリオンとウグイスの混色編成)。阪和線の有名撮影地、大和川橋梁を異色編成が走ることが日常の光景に… (;´д`)

(撮影日:2011年05月04日)


▲森ノ宮区で注目を集めていた混色編成も2011(平成23)年ダイヤ改正に合わせて日根野区に転入。他の転入車は正面助士席側の車番ステッカーを剥がしてるが、この編成はそのまま。方向幕の故障で、行先が「区間快速|和泉砂川」 キタ━━(゚∀゚)━━ !!!!!

(撮影日:2011年05月05日)


▲低運クハ103で体質改善30N工事を施工された車輌は2輛のみだったが、2輛とも2011(平成23)年ダイヤ改正に合わせて日根野区に転入してきた。先頭はクハ103−261。

(撮影日:2011年06月04日)



▲2011(平成23)年7月になって、奈良車4輌編成にスカイブルーのモハユニットを組み込んだ混色編成が登場。最近流行の国鉄リバイバルカラーでつか…?? (;´д`)ヾ(´I `*)オイオイッ

(撮影日:2011年08月14日)



▲オレンジバーミリオンの紀伊田辺行が キタ─wwヘ√レvv~(゚∀゚)─wwヘ√レvv~─ !!!

(撮影日:2011年04月30日)



▲2012(平成24)年3月改正で日根野区に転入した元パワーオブハリウッド号。先頭のクハ103−255は体質改善N40工事を施工された第一陣で、運行表示窓・行先表示窓のガラス支持方式が後の改造車と異なる形態をしている。

(撮影日:2012年05月05日)


▲阪和県境の雄ノ山峠を越えてきた103系。先頭は、体質改善30N工事を施工されたクハ103−261。

(撮影日:2016年07月11日)



▲2017(平成29)7月以降は鳳〜東羽衣間の支線運用が103系最後の活躍の場となったが、それも2018(平成30)年3月のダイヤ改正で終了となった。ヘッドマークの取り付けはなかったが、車内には103系のこれまでの活躍を紹介する写真が掲出されていた。

(撮影日:2018年03月14日)


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