下関車輌管理室113系 (クハ111−139) 【最終更新日】
2014年07月14日

 紆余曲折を経て、115系の先頭車として使用されている。
 1994(平成6)年3月に赤帯車として使用されていた奈良区での運用が終了した後、宮原区貸出(三田付近の脱線転覆事故で所要不足になった103系の代走)→1995(平成7)年1月に向日町運転所貸出(阪神大震災に伴う東海道本線輸送力増強のため、山陰本線(嵯峨野線)で使用されていた高速化対応車の捻出用)→1995(平成7)年3月に岡山区貸出(阪神大震災関連貸出車の代替)→1997(平成9)年5月に広島運転所転属(播但線電化開業に伴う103系の捻出用)→1999(平成11)年3月に下関車輌管理室転属となり現在に至っている。
 広島所時代から115系の先頭車として使用されていたものの、抑速ブレーキが使用できないため下関転入当初は岩国−下関間の限定運用が組まれていた。その後、主幹制御機の交換が行われたことで抑速ブレーキの制御が可能になり、晴れて115系先頭車の仲間入りを果たした。
 2006(平成18)年になって前照灯が廃車発生品の流用によりシールドビーム化され、2010(平成22)年には末期色化されたため今後も活躍が期待されていたが、2012(平成24)年になって、経年の浅いクハ111を115系に改造編入したクハ115ー2500番代に置き換えられて廃車になってしまった。



▲末期色化されたクハ111−139。

(撮影日:2011年07月18日)



▲チクビーム化されたクハ111−139。編成を組む他の車輌は通風機を撤去されたが、車内扇風機が残置されているWAU102冷改車はグロベンが扇風機カバーを兼ねている関係で、そのまま残されている。

(撮影日:2009年09月27日)



▲近年まで原型ライトのまま残っていた。屋根上のグロベン、手掛けのない側ドアに111系の面影が残る。

(撮影日:2005年08月21日)

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