日根野電車区113系 【最終更新日】
2019年09月18日

 1972(昭和47)年に阪和線での新快速運転に伴い網干電車区から113系が転入、東海道線の153系新快速と塗装を合わせ、灰色9号地に青色22号の帯を配した新塗装で運用を開始した。東海道線の153系新快速も阪和線の新快速も遠い過去のこととなり、いつしかこの塗装は『阪和色』と呼称されるようになった。
 阪和色の113系は、2004(平成16)年になって223系増備による玉突き転配で捻出された京都総合車両所他の体質改善工事施工車(通称カフェオレ)への置換が開始され、阪和色の113系は一部が岡山区に転出して、一旦阪和線から阪和色は消滅した。
 岡山区に都落ちした形になった阪和色113系は、ATS−Pを搭載していたことが縁になり、2005(平成17)年4月に起きた福知山線脱線事故に関連して、同線で使用されていたATS-P未搭載の117系置換用に再度関西圏で使用することになった。117系は6輌編成または4輌編成、113系は4輌編成で単純に交換できないため、京都総合車両所の113系・117系を巻き込んだ転配が実施され、阪和色113系はまず京都総合車輌所の運用に入り湖西線や草津線を走った後に宮原総合車輌所に移動し、福知山線で使用されるようになった。このとき、岡山区からは阪和色のほかに瀬戸内色、湘南色の113系も転入。さらに検査期限の関係で編成間で車輌を入れ替えたため混色編成が多数出現した。
 さらに、福知山線では冬季にドアの半自動扱いをする関係で、この混色編成群を日根野区の体質改善工事施工車(カフェオレ)とトレードすることになり、阪和色113系は僅か1年の間に岡山→京都→宮原と移動して、古巣の阪和線にカムバックすることになった。
 日根野区113系は、2011(平成23)年に阪和線・紀勢本線での運用を終えている。



▲撮影当時、朝方に4本あった和歌山→天王寺の8連快速は、和歌山以遠から直通する2本が103系白帯車(和歌山で増結する4輌も白帯車限定)、1本が205系1000番代、残りの1本が113系で運転されていた。先頭はWAU102冷改+原型ライトのクハ111−5135。阪和線での運用終了後は、阪和色のまま下関運転所や広島運転所に貸し出され、山陽本線や呉線で運用された。

(撮影日:1996年05月05日)



▲福知山線の脱線事故に関連して、阪和線に復活した阪和色113系。検査期限の関係で車輌の組み換えが行われたため、写真のような阪和色、湘南色、瀬戸内色の3色混合編成も出現。何線だか分かりません (;´д`)
【注意】この場所は休耕田(最初の電柱以降)に雑草が繁茂して撮影できないことがあるようです。

(撮影日:2006年11月04日)



▲原型ライトのクハ111−5500を先頭に阪和線を下る113系8連快速。

(撮影日:2006年12月03日)


▲3月31日・4月1日の2日間、旅行会社による113系の貸切さよなら列車が天王寺〜周参見で運転された。紀勢本線紀伊富田〜椿間の有名撮影地を走る阪和色113系 ((´I `*))♪

(撮影日:2012年04月01日)


▲これまた有名撮影地の紀勢本線紀伊日置〜周参見の日置川橋梁には100人以上の撮影者が集結。カメラの放列の中、阪和色の113系が走り抜けていった (;´д`)

(撮影日:2012年04月01日)

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