豊田車両センター201系 (中央快速線用) 【最終更新日】
2020年05月16日

 201系は1979(昭和54)年に従来の103系に代わる通勤型電車として製造され、電機子チョッパ制御や電力回生ブレーキの採用など省エネルギー化に配慮した設計で省エネ電車≠ニして華々しく宣伝された。中央快速線に集中投入され、101系の置換えが完了した1985(昭和60)年3月からE233系が投入された2006(平成18)12月まで約21年間、中央快速線は201系の独壇場になっていた。
 2006(平成18)年から新型電車E233系による置換えが始まり、2010(平成22)年には最後まで残ったH4編成、H7編成を使用して「さようなら201系特別ツアー」と題した団体企画電車が運転され、201系の今までの足跡を辿るように、青梅線、五日市線、八高線、富士急行線に入線したほか、長野への廃車回送までもが団体電車化され、有終の美を飾った。



▲通勤型電車には不似合いな風景のなかを駆け抜ける201系。

(撮影日:2007年06月03日)



▲「さよなら中央線201系(H4編成)特別ツアー」で八高線を走る201系。同ツアーは、201系の足跡を辿るように、いままで営業運転で入線した線区を再訪する、さよなら運転らしい企画となっている。八高線での営業運転は4輌の付属編成のみだったので、6輌の基本編成の入線は貴重なシーンとなった。
  

(撮影日:2010年05月16日)



▲同ツアーでは、2回にわたり富士急行河口湖まで入線した。富士急行での営業運転も4輌編成の基本編成のみだったので、6輌の基本編成は貴重なシーンとなった。三つ峠の大カーブを走るH4編成。

(撮影日:2010年04月11日)



▲「雨にも負けず 風にも負けず 富士北麓の豪雪にも負けず 20年間たくさんの想い出をありがとう さようなら201系」 
 富士急行線への最終運転日には、201系の長年の労をねぎらうように、富士急行から感謝の心を込めた横断幕が掲げられた。


(撮影日:2010年06月13日)



▲河口湖で行われた撮影会の幕回し中に一瞬出現した「各駅停車|神田」 キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!

(撮影日:2010年06月13日)



▲最後まで残ったH7編成の長野への廃車回送は、豊田→松本間が乗車可能な団体臨時電車として運転された。方向幕もこの日限りのスペシャルバージョンに交換され、乗務員室には花束も添えられた。カメラの放列と「ありがとう!!」の声が飛び交う中、全力で駆け抜けていった (ノдヽ*)・・・・・

(撮影日:2010年10月17日)

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